未経験からグラフィックデザイナーに転職した時のことを書いています。
今回は「入社してから半年たったあと」のことをまとめました。
どんな仕事をしていたかを解説していきます。
- そうだ、転職しよう 編
- 働きながら転職活動開始 編
- 採用決定 編
- 入社初日~半年 編
- 入社半年以降 編 ★今回
やっとデザイナーらしい仕事ができた
半年間は、雑用や小さな修正、誤字脱字チェックなどの仕事をこなしながら、とにかくいろいろと覚えていく期間でした。
デザインの仕事はほとんどさせてもらえませんでしたが、上記のような「小さな仕事」をこなしていくうちに、Illustratorの操作などが身についていました。
そして、半年たったころから少しずつデザイナーらしい仕事をやらせてもらえるようになりました!
すべてのデザインを任せてもらうにはまだ経験や知識がなかったので、先輩や上司に進捗を見てもらいながら一緒に進めるような形でしたが
やっとデザイナーっぽい仕事ができる!
とすごく嬉しく感じたのを覚えています。
実際にやらせてもらった仕事内容
ここからは実際にやらせてもらった仕事について紹介していきます。
やらせてもらったといっても、まだ「一人前のデザイナー」と呼ぶには程遠く、主に先輩や上司の指示をもらって進めていました。
「まずは全体のデザインをどんな感じにするか決めよう」
「どこにどんな内容を入れるか考えていこう」
「タイトル部分だけまずデザインしてみようか」
こんな感じで、事細かに「なにをすればよいか」を指示してもらえたので、道を間違えることもなく進めることができました。
上司も先輩も「何をどこまでやらせるか」「どんな内容ならできるか」を考えて私に仕事をふってくれていました。
今考えると、大変恵まれていた環境だと感じます…。
名刺のデザイン
名刺は内容修正などの仕事で触ってはいましたが、実際に自分でデザインをするのは初めてでした。
お客さんの希望を聞いてくるのは営業担当の方だったので、営業担当から内容の説明を受けてデザインを考えていきます。
名刺のようなある程度形の決まっているものなら、比較的簡単にできるだろうと思っていましたが、なかなか自分の中で具体的なイメージが固まらず…
0から1を作り出すデザインの作業がいかに難しいのかをすぐに体感しました。
色やデザインについて細かく希望があって、それを作り上げていくんだろうと思っていたら、お客さんの希望は「今使っている名刺よりかっこよければいい」というざっくりしたもので、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。
ポスターのデザイン
名刺よりも少し難易度があがり、A3ポスターのデザインもさせてもらいました。
背景・文字・写真をバランスよく配置しなければならず、入れる内容も盛りだくさんなので難しいです。
文字もただフォントを打ち込むだけでは埋もれてしまい、白フチをつけたり、装飾を入れたり、色を工夫したり、色々な技術が必要でした。
半年間で勉強した技術を駆使して色々やってみましたが、全然うまくいきません。
お手上げ状態になって、先輩に相談すると
「こうしてみるのはどう?」「ここにこんなイラストを入れてみたらどう?」と次から次へと解決のヒントをくれました。
ですが、先輩のヒントを元にやってみてもなんだかうまくはまりません…。
そしてまた先輩に相談してヒントをもらい…というのを繰り返してデザインをしていきました。
時間がかかりすぎて納期に間に合わない危険性が出てきたので、最終的には先輩の手に渡りあっという間に素晴らしいポスターになりました…。笑
自分の仕事の遅さと、デザインの「知識のなさ」を実感しました…。
自信を失いかける時期
デザインの仕事をさせてもらえたと喜んだ矢先、実際にやってみると「自分のできなさ」を痛感していく日々。
デザインをしても、直しばかり…
納期にも間に合わず、結局先輩頼み…
デザインをするにも、ダサいものしか作れない…
「できない」という事実を突きつけられて、自信を失っていました。
先輩にデザインを見てもらうことすら辛くなっていきました。
なかなかデザインが出来上がらず、怖い顔をして画面に向かい続けることが増えた私を見かねた上司が一言、
まだ半年なんだからできなくてあたりまえ!
そして、わからないことを色々聞けるのも今だけだよ。
その言葉でふと我に返りました。
そうだ、私はまだ新米デザイナーだった!
先輩はもう何年もデザイナーとして活躍してきた大ベテランです。
そんな人と比べたら何もかも違うのなんて当たり前。
デザインの仕事をさせてもらえたことで、「私もデザイナーなんだ」という意識が芽生えたのは良かったのですが、とんだ勘違いをしていたようです…
そこからは「新米デザイナーだからできなくて当たり前」と開き直り、行き詰ったらすぐに先輩にヒントをもらうようにしていました。
先輩の作業を見学させてもらうようになったのもこのころです。
デザインも技術も、なんでも盗んで自分のものにしようとこのころは必死でした。
1年経ったころの状況はまた別の記事にします。